販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
高橋正治さん
1冊200円の雑誌が、2万円の価値にもなる。 このことを教えてくれたのは母でした
JR新宿駅西口を出て、都庁方面へ続く「動く歩道」を降りてすぐ。京王プラザホテルのちょうど前が、高橋正治さん(57)の販売場所だ。毎朝9時から午後6時過ぎまで、日曜以外は休まず、この場所に立つ。場所柄、高橋さんの常連客は都の職員が多いという。この日は気温が低く、身を切るような風が吹いていたが、毛糸の帽子を二重にかぶった高橋さんは、「外で暮らすうちに皮膚がワニみたいに分厚くなってね、風邪もひかなくなってしまったよ」と、意外に平気そうだ。
高橋さんが路上で暮らし始めたのは、一昨年の11月。それまでは、生まれ故郷の群馬で警備員をしていた。会社では、30人の部下をまとめる「隊長」を務めたこともあったが、一昨年の夏、体を壊してやむなく退社。それから半年間は山の中で寝たり、友達の家に泊めてもらったりしていた。しかし、そんな生活も長くは続かず、お兄さんを頼ったが、お兄さんも家族を養うだけで精いっぱい。とても厄介になることはできなかった。
あるとき、お兄さんから「東京に行こうか」と言われた。お兄さんは、なけなしの小遣いで電車の切符を二枚買うと、高橋さんを新宿まで送ってくれた。「あとは頼むよ」。そう言うと、お兄さんは高橋さんの手に5000円札を握らせ、改札へと消えていった。外は、雨がざあざあ降っていた。一人になった途端、高橋さんの胸にどうしようもない不安が込み上げてきた。自分が今、どこにいるのかさえわからなかった。ふと見ると、牛丼屋が目に入った。とりあえず中に入り、牛丼をかきこんだ。お金を払うとき、店の兄さんに「南はどっちだい」と聞くと、「そんなこと聞かれたのは初めてですよ」と笑われた。寒さをしのぐため、とりあえず地下へ地下へともぐった。そこで偶然、自分と同じような境遇の男性と目が合った。高橋さんから声をかけると、路上生活を10年以上続けているというその男性は、親身になって話を聞き、夜には自分の隣に寝る場所まで用意してくれた。彼は今でもかけがえのない友達だ。
あれから、お兄さんとは1度も会っていない。しかし高橋さんには、お兄さんを恨む気持ちはまったくないという。「兄貴には、むしろ感謝してる。みんなに話を聞くと、一人で10日とか1ヶ月とか、うろうろと町をさまよって、ゴミ箱をあさったりして過ごしている。俺なんかは恵まれたほうです」
その後、友達から教えてもらった緊急一時保護施設「大田寮」でしばらく体を休めた高橋さんは、昨年2月からビッグイシューの販売員となった。最初の頃は「1部200円です」と、安いことばかりをアピールしていたが、1日に1冊も売れず、水を飲んで過ごしたこともあった。京王プラザホテルから出てきた人たちは、「今日のキャビアは……」などと料理の感想を口々に言いながら、高橋さんの前を素通りしていく。1万円近くもするコース料理を食べた人が、たった200円の雑誌を買ってくれない。どうしてなのか。高橋さんは考えた。「ああいう、会社でも上のクラスに属する人は価値観が違うんです。安いからといって買うものではない。200円、200円と言えば言うほど、たった200円の価値しかないのかと思われてしまう。以来、値段を言うのはやめました」
このことに気づかせてくれたのは、高橋さんのお母さんだった。「近くの温泉に行って500円のお菓子を買っても、みんなで旅の思い出でも語りながら、1000円だと思って食べれば1000円の味がする。反対に、外国へ行って100万円の宝石を買っても、タンスの肥やしになれば何も価値がない。どっちが価値あることか考えてみなさい、と母はいつも言っていました」
そんなお母さんも、今年の元日に他界した。電車賃のない高橋さんは、葬式に出ることすらかなわなかった。「今ほど1円の重みを感じたことはありません。会社に勤めていた頃は、200円なんて畳の上に放り投げて、見向きもしなかった。今はこの200円の雑誌を、2万円の価値があると思って売っています」
お客さんとの絆を大切にするために、高橋さんはできるだけ楽しい会話をするよう心がけている。売り方を変えてからは、1日に20~25冊も売れるようになった。「小さくてもいいから部屋を借りて、もう一度、屋根の下で暮らしたい」。高橋さんはこの夢を、今年の夏にはかなえたいと思っている。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
45 号(2006/03/01発売) SOLD OUT
特集ひきこもりの未来