販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

松本栄一さん

『ビッグイシュー』を売ることで、働くことの楽しさを思い出すことができた

松本栄一さん

ベンダーの人たちと話していると、ふと忘れてしまうことがある ― 彼らは今日も夜になると、自宅のベッドにではなく、冷たい路上に帰るのだということを……。
松本栄一さん(50歳)が寝起きしているのは、川崎駅周辺のとある店舗前。夜間でも照明があるとても明るい場所だ。「明るいところのほうがね、襲われたりする恐れもないから安心なの。別に寒くはないよ。もうすっかり慣れてるからさ」と松本さんは笑う。

ビッグイシューのベンダーになって約3ヶ月。通勤客でごった返す朝を避け、夕方4時半から6時半の約2時間、夕食の買い物客や会社帰りのサラリーマンに狙いを定め、京急川崎駅周辺に立つ。短時間だが、毎日欠かさずに立つことで、多い時は、週50~60冊を売る。"ピンポイント販売"である。「雑誌はやっぱり表紙が大事。表紙をパッと見た時のお客さんの反応で、今回の号が売れるか、売れないか大体わかるよ」と松本さん。
今では、毎号必ず買ってくれるお得意さんや、温かい飲み物などを手渡してくれる通りすがりの人もいる。そんなちょっとした触れ合いが、心の支えになっているのだという。

そんな松本さんが『ビッグイシュー』のベンダーになったのは、川崎周辺の路上生活者を支援するNPO「川崎水曜パトロールの会」のメンバーに声をかけられたことがきっかけだった。「川崎水曜パトロールの会」では、路上生活者を定期訪問する“パトロール”を続けているほか、彼らが洗濯や洗面などをできるよう、事務所を開放している。川崎周辺の『ビッグイシュー』の仕入れ先にもなっている場所だ。

パトロール以外にも、公園清掃や不法投棄物の回収などのボランティアを、路上生活者の人たちと一緒に続けている。「ここに来ると仲間がいるからとっても心強い。川崎駅周辺には僕のほか4人が『ビッグイシュー』を販売しています。手持ちが完売してしまった時なんかは、貸してもらったり、寒い時は缶コーヒーを差し入れし合ったりして、お互い協力して販売しているんですよ」

松本さんは、6人兄弟の末っ子として、埼玉県大宮市で生まれ育った。「末っ子だからね、一番上の兄なんか、私が小学校に上がる年には、すでに結婚してましたよ。兄や姉にいじめられると、すぐに母親に泣きつくの。そうすると理由を問わず、兄たちを叱ってくれた……。そんなとっても甘えん坊な子どもでしたね」

中学卒業後、ダンボール会社に就職。印刷や加工などのラインで働くが、どこに出ても通用する技術を身につけたいと10年ほど勤めた後、退職する。その後、植木屋の親方に弟子入りして修行するが、結局植木職人の道は選ばず、建築土台を作っていた父親の家業の手伝いを続けた。「家は大工をしている長兄が継ぎました。そのまま実家にいたのですが、父母が亡くなって、何となく居づらくなったので、家を出て、住み込みで働ける日雇いの仕事を始めました。昔は今に比べて景気もよく、日給もかなりのものだったんです」

現場が変わるたびに住む場所を転々とする……そんな生活を続けて十数年。やがてバブルは去り、仕事も減り、松本さんが五十の声を聞くころには、体力的な衰えから、働けなくなっていった。そして路上へ。川崎市が路上生活者のために発行する「パン券」で弁当をもらい、何とか食いつないできた。「働く気がないわけじゃない。今でもチャンスさえあれば、手や体を動かして、仕事をしたい」

自分が話すより、人の話を聞くほうが得意だという松本さん。お客さんと話す時は、明るく、丁寧な言葉づかいを心掛けている。「ビッグイシューを売り始めて、一番大きく変わったのは、鏡を見るようになったこと。
なんと言っても、ビッグイシューの看板だからね。いつもお客さんに見られているから、最低限の身だしなみは整えておかないと……。ひげの手入れも念入りにするようになりました」チャームポイントのメガネは、小学生時代からかけているもの。

川崎市は、近々「パン券」を廃止し、新しく作られたシェルターで、路上生活者に食事と寝床を提供するようになる。仕事の紹介も行われるという。「この機会に仕事を見つけ、もう一度働きたい。『ビッグイシュー』を売ることで、働くことの楽しさを思い出すことができた。これからも続けていきたいです」と話す松本さんのメガネの奥には、とびっきりの笑顔があった。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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