販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
関文雄さん
自立を目指すホームレスによる有償ボランティアの組織をつくりたい
JR川崎駅東口のアゼリア入り口で、ビッグイシューを売る関文雄さん(57)は、仲間から親しみを込めて「アンパンマン」と呼ばれている。見ているだけで幸せな気分になれる丸い笑顔がお客さんの心をつかみ、午後2時半から7時頃までの販売時間に平均10冊を売り上げる。中にはバックナンバーを10冊、20冊と、まとめて買っていく人もいるそうだ。
関さんにはもう一つ、「隊長」という呼び名がある。所属するNPO法人「川崎水曜パトロールの会」で、掃除隊長を務めているからだ。毎週水曜日と土曜日は清掃ボランティアの日。不法投棄された家電やタイヤ、布団などを撤去し、ゴミがあまりにもひどい場所には花を植える。「無機質な看板を立てたって無駄。そのすぐ脇にごみを捨てていくんだから。やっぱり、きれいな花を植えて、人の心に訴えかけるのが一番のごみ対策だね」
荒れた土に花を植える作業は、思いのほか骨が折れる。勢いよく振り下ろした鍬が、地中に張りめぐらされた頑強な街路樹の根っこに突き刺さり、なかなか抜けずに半べそをかいている私を尻目に、関隊長は手際よく土を掘り起こし、石ころや雑草を取り除いていく。また、花の植え方にもセンスが光る。先日花を植えたばかりの貝塚公園の花壇には、富士山や「カイヅカ」という文字をかたどった色とりどりのパンジーが揺れていた。
花植えに励む掃除隊の横を、先ほどから何台もの自転車が通り過ぎていく。どの自転車もみな、潰して袋詰めにした大量の空き缶を前や後ろに積んでいる。「この近くに、換金するところがあるんだよ。あれでだいたい15キロだね。3000円くらいにはなる」と、関さんはそっと私に教えてくれた。実は販売員になるまで、彼はアルミ缶を集めていたのだ。缶を要領よく集めるにも、ちょっとしたコツがいるそうだ。まず市の回収日を調べて、回るルートを決めたら、ビルの管理人に缶コーヒーなどの差し入れをして親しくなり、ゴミ袋を渡しておく。そうすると、中に缶をたくさん入れて待っていてくれるのだとか。「午前中回るだけでも4~5000円にはなっていたから、正直言ってビッグイシューより儲かるけど、缶だけやっていても先が見えちゃうからね。僕にとっては、雑誌を売ることでお客さんから直接手渡してもらえる200円のほうが、ずっと価値あるものだよ」
関さんは茨城の出身。小さな町で5人兄弟の真ん中に生まれた。夜間高校に通いながら、両親が営む日用品店を手伝い、そのまま、店と取引のあった日用品の卸問屋に就職したが、もともと好奇心が旺盛だったため、食品会社や自動車メーカーなど新しい業種に次々とチャレンジした。しかし9年前、たび重なる転勤に、「俺の人生なんだから、住む場所を会社の都合で決められたくない」と、辞職を決意。日雇いの仕事をしながら、路上で暮らす生活が始まった。
そんな関さんを精神的に支えてきたものが3つある。1つはお姉さんの存在だ。茨城には今も2年に1度は帰っているが、帰るとお姉さんがおなかいっぱい料理を食べさせてくれる。また、関さんが病気だと聞けば、一番に飛んできてくれるのも、やはりお姉さんだ。
2つめが、4畳半ほどの小屋で関さんの帰りを待つ10匹の愛猫たちだ。公園を立ち退いた人が置いていった猫が次々と寄ってきて、気がつくと10匹に増えていた。缶詰や牛乳など、1日のエサ代は1000円にも上る。「エサ代は家賃だと思って払っているから、苦にはならないよ。それに近所のおばちゃんたちが時々、魚の煮たやつやハムの残りを持ってきてくれるんだ」
しかし、川崎市が設置するシェルターにまもなく入居することが決まったため、愛猫とも別れなければならない。この子たちをどうするかが、今一番の悩みだ。
そして、関さんの最も大きな心の支えとなっているのが、ボランティアを始めたときからずっと温めてきた夢だ。「自立を目指すホームレスが清掃をすることで、活動資金だけでなく、自分たちの人件費まで生み出せるような有償ボランティアの組織をつくりたいんです。さらに訪問介護なんかもできれば、介護をする人とされる人、両方が幸せになれるはず。この夢が実現するまでに、自分が介護される年になっていなければいいんだけどね」
この夢に一歩でも近づくため、まずは関さん自身がビッグイシューを手に、自立を目指す。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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特集石田衣良さんが語る 純愛のゆくえ