販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
鈴木繁さん
お金に対する価値観がすっかり変わった。 10年継続して1日100冊を達成したい
週末になると、お洒落なショッピングセンターや緑豊かな多摩川へ向かう人々で賑わう東急二子玉川駅。その西口を出てすぐのカフェ前で、鈴木繁さん(62)が販売を始めたのは今年2月下旬。当初は朝7時から夜11時まで立ち通しだったが足を悪くしたため、現在は朝8時過ぎから夜10時までと時間を短くした。その代わり、1日おきに3駅離れた溝の口駅のJR乗換通路でも販売をしている。
お客さんの8割は女性で、「1番小さいお客さんは7歳の女の子。小学3年生くらいの男の子が一人で買いに来てくれたこともあった」そうだ。また、つい先日は、高校の先生から学校で講演してほしいと頼まれたが、「恥ずかしくてできないよ」と、返事は保留のままだ。
幼い頃から人見知りが激しかった鈴木さんは、福島県の会津生まれ。全国でも数少ない瀬戸物の型を作る職人だったお父さんと、同じく瀬戸物関係の仕事をしていたお母さん、そして弟2人と暮らしていた。中学を卒業して集団就職のために上京した鈴木さんは、もともと好きだった工作機械を操作する仕事に就いたが、作業中に手をけがして退職。その後は、各地の工事現場でボーリングの仕事を40年ほど続けた。しかし、不況のあおりで仕事は徐々に減り、食べていくのがやっとという苦しい状況に追い込まれる。
7年前、家賃を1年半滞納してアパートを追われたときの所持金は、テレビと除湿器を売ったお金も合わせて2万円。頼る当てもなく、アパートからさほど離れていない公園で1週間ほど寝泊まりしていたら、おまわりさんがやってきた。
「近所の奥さん連中から苦情が来てるから、出てってくれないかって。困ったなあって言ったら、二子玉川にいい公園があるから、そこ行ってみたらいいんでないかって言われて。雨の降ってる晩で、あのときは本当に寂しかったなあ」
バッグを2つ持って出るのがやっとで、テントも寝袋も毛布も何もなかった鈴木さんはその晩、カッパを着たまま、多摩川沿いにある公園のベンチでずぶ濡れになって眠った。やがて橋の下に移り、自分と同じ境遇の男性と知り合った鈴木さんは、多摩川で釣れた魚をおすそ分けしてもらっては塩焼きや鯉の洗いなどにしたり、賞味期限切れのコンビニ弁当を探したりして空腹をしのいだ。
そして2003年の秋、テレビ番組の企画で帰郷を果たした鈴木さんは、滞納していた家賃1年半分をお母さんが代わりに払ってくれていたことを初めて知る。
「もともと目を患っていたおふくろは目が完全に見えなくなって、寝たきりになってた。申しわけなくってねえ」
その後、鈴木さんはもう一度働こうと、ビルの内装工事や解体作業にチャレンジするが、「台風でもやるぞーなんて言うから殺されると思って」辞めてしまった。ところが今年1月、いつもの廃棄場所に弁当を取りに行くとカギがかけられていた。最後のライフラインを断たれ、途方に暮れた鈴木さんが、以前取材を受けたテレビ局の人からビッグイシューのことを聞いたのはちょうどそんなときだった。
「人前に出て金をもらうなんてやったことないから、本当は恥ずかしくて断りたかったんだけど、食ってくためには働かなきゃいけないからね」
しかし実際に始めてみると、初日から33部を売り上げるという好調な滑り出し。俄然やる気を出した鈴木さんは、電車賃700円を浮かせるために自転車で往復4時間もかけて雑誌の仕入れをしたり、どんなに疲れていても安いスーパーまで足を運んだりして節約したお金を、貯金に回すようになった。昔は、家賃分を稼ぎ出したこともあるほどハマっていたパチンコも、今は一切やっていない。
「お金に対する価値観がすっかり変わったから。1冊売って110円だもの。勝つか負けるかもわからないパチンコに、とてもじゃないけど使えないですよ」
そんな鈴木さんの姿に打たれ、応援してくれる人も少なくない。毎月、米を援助してくれる証券会社勤務の外国人、生活を支え続けてくれている"親父みたいな存在の人"など、いつも誰かの温かい手が差し伸べられている。取材の日も、若いシスター3人からタオルと石鹸が届いた。お客さんのぬくもりに触れ、少しずつ会話も弾むようになってきたという鈴木さん。目標は、この仕事をあと10年続けて1日100冊を達成すること。
「お金が貯まったら田舎へ帰って、おふくろに立て替えてもらった家賃100万円を返したい」
お母さんとお客さんからもらった愛情が、鈴木さんの背中を押す。
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
この記事が掲載されている BIG ISSUE
55 号(2006/08/15発売) SOLD OUT
特集愛と暴力の間で― DV(ドメスティック・バイオレンス)からの出口はある