販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

高木敬蔵さん

自分の夢ですか?簡単ですよ。 この本を1冊でも広めたいのと常連さんが元気なこと

高木敬蔵さん

高木敬蔵さんはその日も四条河原町の交差点に立っていた。ただいつもと少し違う点は、近々ビッグイシュー販売を始める予定の友人男性が隣にいたことだ。

「こいつとは腐れ縁でね。10年前に働いてた飯場(工事・採鉱などの労働者のため現場付近に設けられた宿泊設備)で知り合って。彼はそこの飯の味が合わない言うて1日でやめちゃったんですよ。俺は長かったけど、たまたま彼が辞めたすぐ後に、飯場の親父とけんかしてクビになって」

偶然は続くもので、初めての路上生活に入った数日後、阪急の地下街で寝て朝目覚めたらその彼が隣に寝ていた。彼の方も1日だけ入ったその飯場で、「食うか?」とお菓子を差し出してくれた高木さんの言葉が嬉しく、顔をはっきりと覚えていた。それから2人は何のためらいもなく一緒に朝食を食べに行った。周囲の噂に寸分違わず、高木さんは気さくな兄貴肌だ。ベンダーデビューの近いその友人男性に、販売のアドバイスを続ける。

「よく見とけよ、最初は緊張して声も出ないかもしれんけどな、やってるうちに自然にわかってくるわ。お前がお客さんに芯からお礼が言えるんかどうか、俺は心配やけどな。お前は飯場で飯が合わないって言って辞めたけど、たまたまその日の料理が不味かっただけちゃうか?ビッグイシューだって、売れる日もあれば売れない日もあるよ。売れなくてもすぐにやめんなよ。お客さんの思いを裏切るようなことは、俺は絶対に許さへん。感謝を伝えることができるのは、ただここに立つことだけや。俺らにはそれしかできへんのやからな」
と高木さんは足下に置いてあったタオルを引っ掴むと、何度も涙をぬぐった。

10代の終わりから30歳まで、パン職人としてがむしゃらに働いていた。しかし生活がにっちもさっちも行かなくなり、住み込みで働けるパチンコ店の従業員になった。パチンコ店を転々とするも、気がつけばどこも雇い入れてくれない40代にさしかかっていた。困っていた時、知り合いから土木作業員の仕事と飯場を紹介された。

「その時の給料は、宿泊代や生活費と、タバコなどの生活用品や諸経費を引かれて1ヶ月5~6万くらいだったかな。10人以上で雑魚寝なんですけどね。1つの部屋に2段ベッドが6つか7つ。仲良くやってたんだけど、さっきも言った通り親父ともめてクビになってもうてね」

そうして路上生活に入った平成8年から6年間は、期限切れの弁当を拾いにいって何とか食いつないだ。これではいけないと缶収集の仕事を始めた高木さんであったが、何かが物足りないという思いがあった。

「缶は火曜日から金曜日までの4日間。本気で集めれば稼げるんだけど。でもあと3日間、俺は何してるんですか。ただぼ~っとしてるだけじゃないですか」

そんな平成15年、荒神口での炊き出しに行った時に開催されていたビッグイシュー販売員の説明会で、高木さんはビッグイシューに巡り会った。

こうしてやりがいあふれる新生活をスタートさせた高木さん。持ち場を極力離れずに、粘りのある勤務姿勢を販売当初からみせた新人ベンダーに、程なくして販売場所開拓のための試験販売が託された。通常はベテランベンダーが任される仕事で、まさに異例だった。

「何とかこれをマジメにやらんとお客さんに失礼やし。その思いがあったらね、4時間でも5時間でも飯も食わずに立ってるよ」

取材中、高木さんが急にそわそわと時計を気にし出した。

「もうすぐ常連さんがね、いつもこの時間に駅の方から上がってくるんですよ。顔見るのが楽しみやから。そういう人が何十人もいるんですよ自分。う~ん今日は遅出なんかな。来はらへんなあ」
と、だいぶ寂しそう。そんな高木さんへの贈り物のように、仲のいい野球部の高校生男子が通りかかり、「おっ!試験終わったか?どうやった?」と満面の笑顔が戻った。

「オレの所に来てくれたお客さんは本当に1人1人大事にします。ある常連さんに『ごめんね、他の所で買っちゃった』って言われた時『ああいいですいいです』って言ったんだけど。もう自分の所では買ってくれなくていいって思うほど寂しかったし傷ついたんです。それくらい思って本気で売ってますから。自分の夢ですか?簡単ですよ。この本を1冊でも広めたいのと、常連さんが元気なこと。俺もそれが楽しみで毎日生きてるから」

少し涙もろい兄貴はまたタオルを拾い上げ、四条大橋を渡る無数の人々を見渡しながら今度は汗を拭った。

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

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