販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
石田誠さん
人を受け入れ、自分がどこまで変われるか。 もっと広い心を持ちたいなぁって思うんです。
今年7月から大阪・京橋駅前で販売している石田誠さん(35歳)は、販売員になるのが実はこれが二度目。一度目はビッグイシューの創刊時から販売し、ナットを製造する会社に仕事を見つけて卒業した。3年半ぶりのビッグイシューでの再出発。出戻りということに、最初はためらいがあった。
「前の会社では社長とも上手くいってたし、マンションにも住めるようになっていたけど、どうしてもうまく行かない人間関係があって、またつまづいて、落ちてしまった。1週間ぐらい街を彷徨ってたんですけど、親しい人の助言もあって、悔い改める意味で、もう一度だけやらせてもらおうと思った」と言う。
話し出すと、「つまづいた」「悔い改める」という言葉が、石田さんの口をついて出る。
「やっぱり、自分は意志が弱いと思うんですよ。ココっていう時に我慢ができない。親に捨てられたということもあるけど、『どうせ俺なんか』というひねくれた甘えが根底にあるのかなって。子どもの頃から、ずっと一人で生きていかなアカンと思ってきたから、変な自我があって、人の話を聞く時は頷いてるけど、行動する時は自分の考えだけで動いてしまう。反面、人間関係とかに完璧を求めすぎる。もっと緩くならないといけないって、よく言われるんです」
愛知県出身の石田さんは、生後すぐに児童擁護施設に預けられた。母親は石田さんが生まれてすぐに他界、同じ頃、父は事件を起こして刑務所に入り、今も出所していない。家族の存在さえ知らずに施設で育ち、生まれながらに左足が悪いこともあって、小学生の頃はよくイジメられた。「税金で暮らしてんだから、贅沢すんな!」と同級生たちに罵られた。
中学卒業後、牧場で働いた。牛の世話は思っていた以上にキツイ仕事だったが、5年間働き通して、イスを製造する会社に転職。そこでも10年間勤めた。もう30歳になり、会社の信用もでき、立派な大人になっているはずだったが、「そこで、つまづいたのが自分の分岐点だった」と石田さんは振り返る。
「仕事の能率が悪くて、どんくさいところもあったから、後輩が『どうしてクレームばっかり出しているコイツより俺の給料が安いんだ!』って言い出したんです。イジメられるようになって、我慢できなくて会社を飛び出してしまった。不安はあったけど、その時はもう死んでもいいぐらいに思っていた」と話す。
会社の寮を出て、好きなギャンブルで貯金を使い果たすと、石田さんの路上生活が始まった。景色を見ながら、ただ歩くだけの放浪生活。神社やお寺を通りかかると、手を合わせて神頼みばかりした。お腹がすき過ぎて、コンビニではおにぎり1個を盗んだ。鍵のついた自転車に乗って、お巡りさんに捕まった時は、家族のもとに帰りなさいと言われ、「生きるために、僕はどこに行ったらいいんですか?」と聞き返した。
ビッグイシューと出会ったのは、西成で炊き出し生活をしている時だった。とにかく働きたかった。
「やっぱり雑誌を売るようになって、100円の重みとか、ありがたみ、優しさみたいなものに気づくようになりましたよ。それまでギャンブルにお金を使っていたのに、悔い改めてからはコロっと変わって、教会にいる仲間のために大きなクリスマスケーキを予約したりするようなことが惜しみなくできるようになった」と話す。
ビッグイシューでは二度目の再出発だが、石田さんが心の支えにしているのは西成の教会で出会ったイエス・キリスト。今も、聖書の教えを何より大事にしている。
「聖書の中に、自分が変われば、自分の内から泉が湧き出る、乾くことがない、みたいなことが書かれてあるんですけど、大事なのは人を受け入れ、自分がどこまで変われるかだと思うんです。広い心を持つことだって。自分はもうここまでだと思っても、イエス様はもっと先まで見ておられる。だから、先のことを考えすぎず、目の前のことを一所懸命に頑張りたい」
家族とは、20代半ばに一度会ったきり。刑務所の面会室で初めて会った父は悪びれる様子なく、きれいな角刈りの頭でのんきに世間話をする姿が「まるで寿司屋の職人がカウンター越しにお客さんと喋っているよう」だった。だが、名古屋駅で兄と会った時は、自分が一人じゃなかったと思えただけで嬉しかった。「それまで無口だった自分が、嘘みたいによく喋るようになった」と言って、笑う。
将来は、自分の家族をつくりたい。「やっぱり奥さんとか子どもとか、守るべきものができた時、もっと変われるような気がするし、世界も変わると思えるんです」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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