販売者に会いにゆく (旧・今月の人)

販売者さんたちとスロヴァキアのホームレス事情

日本で留学生活を送っているスラーブカさん。年末年始にかけて母国に帰国、路上雑誌『Nota bene(ノタベネ)』の販売者さんにインタビューした。

販売者さんたちとスロヴァキアのホームレス事情

■路上雑誌『ノタベネ』の意味は「よく注意せよ」
スロヴァキア(※)という国を知っていますか。中央ヨーロッパにある小さな国だ。一見、日本と無縁に見えるが、少なくとも一つの共通点がある。それは、スロヴァキアにもホームレスと呼ばれる人がたくさんいること、そしてビッグイシューのような路上雑誌があることだ。私はスロヴァキアと日本の路上雑誌の愛読者だ。

ちなみにスロヴァキアの路上雑誌の名前は『Nota bene』(以下『ノタベネ』)という。この名前の由来について創刊者の一人・サンドラに聞いた。「『ノタベネ』は、『よく注意せよ』という意味ですが、何か強調したいこと、人が見落としている問題に注目を引こうとすることを指しています。見落としがちなホームレス問題と似ていることからこの名前になりました」

『ノタベネ』はラテン語なので、普通のスロヴァキア人にはその意味がわからない。だが、3人の学生が2001年に『ノタベネ』を出版し始めたその時から、路上雑誌の名前としてよく知られるようになった。
■日本のビッグイシュー スロヴァキアでは、いくらで売れる?
去年の12月、「ノタベネ」の販売者さんのクリスマスパーティに行って、日本から持ってきたビッグイシューを見せた。とても反響があって、それまであまりしゃべらなかった販売者さんでも、日本の雑誌には興味を見せた。

雑誌を手に取ると、みんなは、まずバックナンバー一覧を載せた裏表紙のページを見る。スロヴァキアの雑誌は文字が横書きなので、ビッグイシューの裏表紙が表紙にあたるからだ。理由を説明すると、「なんて変わった雑誌なんだ」と言いながら、販売者さんたちはビッグイシューをめくる。しかしほとんどの人がすぐ雑誌に飽きてしまう。

最初はあんなに興味を見せてくれたのに…。そんな中で、一番長く頑張ってページをめくり続けたのは販売者のシルボだった。シルボのコメントは「絵が少ないね~」。確かにビッグイシューは「ノタベネ」と比べたらテキストが多く絵が少ないのだ。

そしてシルボからの質問は、「販売者の広告はどこ?」。販売者の広告というのは、例えば、「電気やかんをくれる親切な人はいませんか」とか、「冬の間ガーデン小屋を安く貸してくれる人を探しています」とか。販売者と読者との間のコミュニケーション手段の一つだ。

日本のビッグイシューには販売者広告の欄がないとシルボに伝えると、彼にとって雑誌の価値が急落。どうもこの雑誌はあまり気に入らなかったようだ。それなのに「これ一冊もらっていい?」とシルボが聞いてくれた。「もちろん」と、私はちょっとうれしかった。自分と同じ販売者が売っている雑誌だから貴重なものとして取っておきたいのだろう、と私は解釈した。世界中の路上雑誌の連帯感はすばらしい。

するとシルボは「これは日本ではいくらで売ってるの? スロヴァキアでいくらで売れるのかな…」と。現実的な商売の精神だ。ちなみにノタベネは30コルナ(約150円)で売られている。ビッグイシューの価格300円は、約60コルナだ。日本語学科がある大学の前で販売すれば、売れるかもしれない。私はシルボにそうアドバイスした。
■90年代に出現したホームレス『ノタベネ』が問題を明るみに
20年前のスロヴァキア(当時チェコスロヴァキアの一部)は、まだ社会主義国だった。その時ホームレスがいたかどうかわからないが、私は見たことはなかった。ホームレスという言葉も使われていなかった。

89年に共産党体制が崩壊し、国の民主化や資本主義経済への移行が始まった。人々は自由選挙で代表者を選べるようにはなったが、国が経済的に揺らぎ、企業がつぶれて多くの人が仕事を失った。90年代には初めてホームレスが路上に現れ、ホームレスという言葉も定着した。90年代には確実に増え続けたが、ほとんど無視されていた。深刻な社会問題として初めて認識されたのは、01年に路上雑誌『ノタベネ』が現れてからのことだ。

サンドラは言う。「路上雑誌がもたらす重要な効果の一つは、ホームレス問題に社会の注目を引くことです。『ノタベネ』が始まる前にもホームレスはいましたが、人々は彼らを意識していなかったし、ほとんど何の対策もとられていませんでした。そこに突然、雑誌を持ったホームレスが目の前に現れ、無視するわけにはいかなくなりました。そこで初めてマスコミや世論が動き出して、ホームレス問題が話題になったんです」

現在の取り組みはまだまだ不十分で、体系的・総合的な解決策がとられているとはとうてい言えないのだが、ゼロから何かが始まったことは確かだ。

現在スロヴァキアにホームレスは何人いるのか? 誰もわからない。正式な統計データはなく、ホームレス支援団体の推定では、人口約43万人の首都ブラチスラバだけで2000~3000人はいるとされる。この数には、路上で寝起きしている人だけでなく、一時的に簡易宿泊施設やシェルターを利用する人、また『ノタベネ』の多くの販売者のように安い民間宿泊所を利用する人、つまり住居が不安定な状態にある人を含む。
■誰でも無条件で泊まれるナイト・シェルターができた
対策がどれだけ不十分かは、05年の冬の出来事が物語っている。その年の冬は異常に寒く、気温が零下20度まで下がった。19人のホームレスが寒さの犠牲となり、路上で凍死してしまった。ホームレス用の宿泊施設はあったが、無条件で受け入れるナイト・シェルターはなかった。

次の冬、06年12月に、スロヴァキア初の、無条件で誰でも泊まることができるナイト・シェルター「デポール」ができた。身分証明書を持っていなくても、健康保険がなくても、病気であっても、アルコールなどに酔っていても受け入れてもらえる。デポールは他の多くのシェルターと同様、キリスト教のチャリティー団体が運営しているのだが、他の施設と違い、人々を無条件で受け入れている。

ホームレス問題は、いつか完全に解決できるのか。ホームレス問題の終結とは何か。サンドラは話す。

「私にとってホームレス問題の終結とは、完全に路上などからホームレスがいなくなるということではありません。終結は可能だと思いますが、私にとってそれは、どん底に落ちた人が立ち直るチャンスを与えられている状態であり、必要とする人たちのためのサービスが整っており、そのネットワークがうまく機能していることなのです」
■販売者、シングルマザーのルビツァ
私に恥じるべきことは何もない
『ノタベネ』のクリスマスパーティで、子ども連れの母親や夫婦は思ったより多くて驚いた。そこで出会ったルビツァ(35)はシングル・マザーの一人だった。彼女には、11歳の娘と1歳半の息子がいる。現在3人でブラチスラバの近くの村で臨時の家に住んでいる。その家を初めて見たとき、塗装が落ちてレンガの壁にかびが生えていて、ルビツァは泣いたというが、それでも、家があるのはありがたい。今年6月に契約が切れるので、次に住む所が見つかるかどうかを心配している。

娘・ドミニカが学校に行っている間、ルビツァは都心で『ノタベネ』を販売している。冬の寒い日も、息子・マルツェルはベビーカーの中で母と一緒だ。息子を預けられる所がないので、しょうがない。そして子どもがいると、雑誌の売り上げは間違いなく伸びる。だから「息子が雑誌を売っている」とルビツァは言う。一人で販売したこともあるが、数時間経っても雑誌がほとんど売れなかったのだ。子供が一緒にいれば、人々の態度が変わる。

ルビツァの二人の子どもは父が違う。ルビツァがつき合っていた男性は子どもという責任から逃げてしまった。でもルビツァは、子どもが実の兄弟のように仲良くしてお互いを助け合うように育てたいと思っている。彼女の願いの背景には、異父兄弟の家庭で育てられ、実の兄弟ではないことをいつも意識させられた、ルビツァ自身の経験がある。18歳で家を出て、働きながら自力で生活をしてきた。今も働きたいが、小さい子どもがいると雇ってもらえない。現在、唯一の収入は『ノタベネ』の販売とたまにある掃除などの日雇いアルバイトだ。

娘・ドミニカは、母が路上雑誌を販売しているのが恥ずかしいと言う。ルビツァはそれをとても残念に思っている。「ドミニカはいつか、『ノタベネ』の販売は彼女とマルツェルのためだと理解してくれるでしょう。私には恥じるべきことは何もない、盗みもしないし何も悪いことはしていないからです」

※スロヴァキア共和国
面積5万km/人口540万人/首都ブラチスラバ/公用語スロヴァキア語/1993年、チェコスロヴァキア共和国より分離独立

※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。

この記事が掲載されている BIG ISSUE

90 号(2008/03/01発売) SOLD OUT

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