販売者に会いにゆく (旧・今月の人)
志村孝市さん
やりたいことは仕事しかない。夏にがんばって、雪が降る前までになんとかアパート探したいね。
志村孝市(48歳)さんがビッグイシューを販売する琴似は、札幌市の繁華街から数駅離れている。朝夕、JR札幌駅と琴似を往復する毎日だ。
「お得意さんがいるから、場所を変えるつもりはないね。わざわざ大通りまでビッグイシューを買いに行ってた人が10人ぐらいいるんだ。『こっちでやっててよかった』と言ってくれるし」
このエリアは、札幌に初めて来た頃からのなじみの場だ。
「自分の住んでいるところ以外で、はじめて覚えたのがここ。友人が住んでいて、よく来たんだよね」と話す。
18歳から札幌で過ごしている志村さんは、39歳まで引っ越し業についていた。
「仕事を辞めた理由は、ギャンブルによる借金。競馬、僕の場合は」
競馬をはじめたのは、20歳の頃。「ちょっとやってみようかな」が、いつのまにか200万円もの借金にふくれ上がってしまった。
「1ヶ月の返済額は6万円。サラ金の取立てが会社にも来て…」
部屋代も半年ほど滞納し、ついに札幌駅でホームレス生活をするはめに。
「アパートを出たのは1月10日。家財道具を一切、置いてね。最初の日は、朝まで起きてたね。夜中12時ごろまで札幌駅にいて、その後は大通りとか歩き回ったよ。狸小路とかすすきののビルで暖を取りながら」
就職をしようと、2回ほど生活保護を受けたが、うまくいかず、かれこれ10年ほど路上生活を送っている。
志村さんの出身地は夕張。父親は炭鉱で働き、生まれたときから炭鉱の社宅で暮らしていた。
故郷への思いは強く、いまでも、夕張のニュースを毎日チェックしている。
「やっぱり気になるね。新聞に載ってたら読んじゃうよ」と、夕張の話になると声に力が入る。
「最後に夕張に行ったのは、5、6年前。父親の墓参りにね。しばらく行ってなかったから、墓参りにでも行こうかなぁって」
そのとき見た夕張は悲惨だったそうだ。「生まれたところは林になっていたよ。家も全然なくて、完全に"林"状態。こんなところに住んでたのかって感じだった。炭鉱が閉山になって、何年になるのかなぁ」
志村さんの身内は、夕張にはもういない。「21歳のときに親父が亡くなり、その半年後、母親は社宅を出て、札幌に移り住みました」 その母親とは10年以上音信不通のままだ。
「町は変わっていたけど、昔よく行った店は残っていたよ。夕張名物の"ぱんじゅう"。すっごくおいしいんだ」
いつもは口数の少ない志村さんが、急に饒舌になり、顔をほころばせた。
「子どもの頃から通ってたんだ。その当時、"ぱんじゅう"の値段は1個10円。6個買って、2、3時間、店の中で遊んでた。じいちゃんもばあちゃんも何も言わなかったからね。夕張の"ぱんじゅう"は大きいんだよ。6つ食べると、けっこう腹いっぱいになったんだ。久しぶりに大好物の"ぱんじゅう"を食べたよ」
しかし、夕張の借金の話になると、とたんに表情が曇る。「返すっていっても、難しいね」 志村さんはそこに自分の過去を重ねているかのようだ。そして、「ギャンブルはもうしてない。懲りた!」と笑った。
実は、ホームレス生活中も競馬場には毎週通っていた。販売場所から歩いていける距離に、札幌競馬場がある。日曜日は早めに仕事を終わらせて、レース観戦をするという。
「ずっと競馬やってたから、大きなレースは見たくなっちゃうんだよね。好きな馬? みんな引退しちゃったからね。ディープインパクトも好きだったけど。コスモバルクはどうなるかなぁ」
ビッグイシューの売り上げがあっても、馬券は買わない。「あれ以来、馬券は一回も買ったことがない。やりたいとは思わないよ。馬で当てる喜びより、借金のほうがいやだね」
志村さんが販売人になったのは12月。冬季の売り上げは平均10~20冊だった。
「客商売ははじめてで、最初はなかなかね。今はだいぶ慣れて、けっこうしゃべったりするよ。天気の話とかね」ビッグイシューの販売は「楽しい」と満足そうだ。
「暖かくなったら、朝から晩まで立っていられるから、30冊ぐらいは売りたいね。とりあえず部屋を借りて仕事探したいよ。夏にがんばって、雪が降る前までになんとかアパート探したいね。やりたいことは、仕事しかないね。何でもいいから」
※掲載内容は取材当時のもののため、現在と異なる場合があります。
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